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風の大地へ パタゴニア放浪記Ⅰ 前編FC-J (FishCmap-Jounery & Jounal)シリーズ 1999年の旅から



1:風の大地へ

 何もない荒野でバスを降りると、まっさきのやって来たのはとてつもない強風だった。空を彩るレンズ雲が西から東へ忙しく流れる。ここはアルゼンチン南部、パタゴニアの大地だ。

それは想像以上の強い風。川辺りに張ろうとした私の小さなテントは、ちょっとした油断で、地の果てまでも飛んでいきそうだった。必至でテントを抑えながら同時に少しうれしくもあった。こうでなくちゃいけない。こんな辺境まで来たんだから、普通の強い風くらいなら期待外れというものだろう。

 空に舞いそうになるテントの端をしっかりつかみ、ペグを風上から順に打ち付けて固定すると、パックの中身を素早く中に入れ、自分も狭いテント中に入り横になった。夕方6時を過ぎたというのにまだまだ日は高く、風は一向に止みそうになかった。イブニングが始まる前に夕食を済ませておく。今日は久しぶりに米を食べると決めていた。MSR社製のガソリンストーブでコメを炊くのは至難のわざ。付きっきりで火加減を見ていないと、すぐに焦げ付いて飯の半分が黒焦げだ。食料は節約しなければ釣りの出来る日が減る。

 サイドデュッシュはサーディンの缶詰に醤油とコショウをたらしてょっとだけ焦げ目をつける。前菜は乾燥マッシュポテトに溶けかけたマーガリンをのせる。もちろん、紙パックの白ワイン付き。自分で言うのもなんだが、荒野の中としてはなかなか豪華なメニュー。おっと、鶏のスープも忘れずに。たっぷり食べて、長いイブニングの釣りに備えるつもりである。目の前のリオ・ペニテンテには、大物のブラウンが潜んでいる気がしていた。

 長い長い旅の末に、フライで楽しめるまもともなマス釣りの川、川辺のキャンプサイトを見つけて腰を据える。ようやくパタゴニアで満足な釣りが出来そうな予感。それにしても長い移動を繰り返してきて、身をもってパタゴニアのスケールの大きさと、釣り場を探してほっつき歩くという、素晴らしく?自由な釣りキャンプの旅。底抜けの自由。河原でキャンプをしても、銃で撃たれることも、警察に連行されることも、SNSで炎上することもない。

 だが、その自由さの代償というべきなのか、旅を始めて三カ月近くが経とうとして、何尾の魚を釣った?と聞かれたら、アッハッハと笑うしかない釣果。でもそれで十分に満足していたのだ。

 三カ月近くも日本の家に帰っておらず、部屋に届いている請求書の数を考えると、不安はちょっとあるが、この初めてのパタゴニアの旅がどれほど充実した日々だったか。とにかく、もう終わりに近い。だからまだ何もかも忘れて、川の大きなマスの事だけに集中しよう。日暮れにはプライムタイムが始まるはずなのだ…。


2:パタゴニア

 南米大陸の南部を大きく占める「パタゴニア」は、南緯40度以南の地域の通称。チリとアルゼンチンの二つの国にまたがり、西側のアンデス山脈とフィヨルドの山岳地帯、東側の乾燥した平原地帯が特徴的な地域である。厳しい気候と局地のために開発の遅れた、人口の希薄な僻地とされている。「僻地」とか「荒野」といった言葉に個人的な憧憬はあるものの、この地域に特に関心があったのはマス族が生息していたからに他ならない。しかも他の国ではあまり見られないブラウン・トラウトの仲間である降海型「シートラウト」が遡上する地域としても世界でも屈指のフィールドである。

 90年代の後半から数年間このパタゴニアへの旅を計画していた。だが日本ではまとまった情報がないことが大きなネックだった。もう何年も衝動的に、わずかな金を作っては世界の辺境でのマス釣り、しかも気ままなキャンプをしながらの放浪旅をしていながら、計画から足掛け4年ものあいだ、この躊躇していたのは、とにもかくにも情報がほとんどないことに尽きた。

 今から5年前、最初に手にしたのは、英文の旅行ガイドブック「ロンリープラネット」。欧米の旅行者はパタゴニアにかなり自由に旅行していたので、この手のバックパッキング本はそれほど苦労しないで手に入る。英文だが、旅ガイドの英文は単純である。だが、こと釣りに関しての情報はほぼ皆無。だからせめて指針となる情報、たとえば、あの川ならこんな釣り、あんな魚といった基本的な情報だけでも手に入れておきたかった。

 以前にサンフランシスコを釣りの途中に訪れた際、無理して買った50ドルもする大きなグラフィック本が2冊のみ。これには最南部の有名な川について書かれていた。シートラウトがいる、というのはわかった。ネットが普及しだしたので、私も活用してみたところ、ヤフー検索で引っかかったアルゼンチン・パタゴニアについての本があった。いささか古かったが、利用制限ギリギリのクレジットカードでガイドブックをアメリカから取り寄せてみた。アメリカ人ライターのフランク・アマト氏がまとめた本だが、期待したほどではなかった。やや内容が薄いのである。だが、結局のところ、一番の情報源だったのは、フライフィッシャー誌に94年から連載されている増田千祐氏の「アンデスの夢」である。氏の一連のレポートは、アメリカの連載を書いていた佐藤成史氏とならび、日本人トラウトバムの二大作品群。個人で釣り(つまり探究者たち)をするならこれ以上ないというほど、情報と、夢に溢れた連載だった。だから実質上、これが私の旅の指針となった。   

 古くからパタゴニア地方を旅してきた増田氏の長期のレポートは、欧米でもまったくといっていいほどの無名の川や湖を自ら切り開いてきた、貴重なものだった。数年間かけて連載をしていたから、回によってはかなりマニアックかつ、通常では到達困難なエリアのレポートも多く、そこには氏の入れ込み具合、本気度が込められていたといってよいものだった。パタゴニアにおける開拓心は、日本ではもちろん他に肩を並べる人はおらず、おそらく世界レベルでも相当なレベルだったはずである。

 そんなレポートから現実的な川や場所を数か所に絞り込み、切り抜きを10部ほどにまとめて持ち歩くことにした。私のような時間だけあるが金はほとんどない旅人にとって、こうした具体的な旅の情報は有難かったが、と同時に、あまり具体的すぎる情報は、旅を決まりきったものにしてしまう可能性もある。つまらないものにしてしまうのだ。

 パタゴニアは広い。縦へ縦断する計画だから、核心の数か所だけ、あとは行きあたりばったり、気になるところが途中で見つかったら、気の向くままにそこで滞在することである。なんのことはない、これまで10年も続けてきたバックパッキングの旅、それをいつものようにするだけだった。行先はパタゴニアなのだ、どこにいっても後悔はないだろうと思ったのだ。

 ただ、いささか大きな誤算は旅が始まって直に気がつくことになった。一口にパタゴニアといってもその地域は広大で、また国境を挟んで複雑に入り組んだ不便な辺境は、車を持たずにほっつき歩こうとする私をそう易々とは受け入れてはくれなった。そう、日本の約3倍の面積を持つというパタゴニアを、私は地域の足である乗り合いバスを使って旅しようとしていた。しかも生活に必要なスペイン語はまったくできないのに、である。理由は至極簡単。それが最も安く旅ができるからだ。行き先は不明。とにかく南端を目指して先を進む。数か所に絞った先の最後は最南部のフエゴ島、そこでシートラウトにだけは触れたい。本当のことを言うと、それが主な動機である。かっこつけて言うならば、パタゴニアの強い風に吹き飛ばされるなら、吹かれるままに転がりつづけ、荒野に転がるセージブラシの塊のような旅の先に、シートラウトが待っていた…!などという、三文判が押されたような、安易なストーリーを勝手に思い描いていたのだ。




3:南へ1000キロ


 年末前に日本を出国、チリ・サンチアゴに入る。元旦を迎えたチリの首都サンチアゴは、喧騒が今残る刺激的な現代都市だった。モダンな地下鉄も走る都会でありながら、排気ガスを巻き散らす40年もののオールドスタイルの乗り合いバスが街を走り、スモッグが盆地である街全体を覆っていた。私は旧市街の中央市場近くを歩きながら、見つけた石造りの古びたホテルを宿にした。昼間から連れ込み宿と化している怪しげな宿だったが、一晩600円という安さは都会では貴重であった。釣りには遠く及ばないが、海外の街歩きも実はけっこう好き者で、何日もほっつき歩くことが出来る。街角の建物を眺めたり、スーパーで物色するだけで、たいした金は使わないのだが、異国感あふれる街の風情は、自分が日常を遠く離れたことを否が応でも思いださせてくれるのだ。川だけだと、たとえば北海道の風景みたいな川で、たとえ大きなマスがたくさんいようと、なんだかな!ッてな気分にもなる。

 だが釣り旅にこのような刺激的な街はあまりふさわしくないかもしれない。というのも、夏の日の長さにつられ、目に入る不可思議な景観やチリ人たちが繰り広げるシーンの物珍しさに浮かれて、何日も街中を止めどもなくほっつき歩いてしまった。3カ月とはいえ、旅立ちにいきなりのこの停滞では、釣り旅としてはかなり不真面目である。パタゴニアと呼ばれる地域へは、ここから1000キロ以上南下しなきゃいけない。暑さ対策に一本70円のビールをがぶ飲みしがら、街を出る決意は、入国してから5日も経ってしまった。

 サンチアゴの南部方面に向かうバスターミナルは市内で最も大きなものだった。各会社ごとに窓口が設けられ、一人でも多くの客を取り込もうと客引きがしきりに声をかけてくる。この客引きに連れていかれるとマージンが彼らに発生するため、値引き交渉がうまくいかない。そこで自力ですべてのカウンターを回り最も安いバス会社に決めた。夕方に出発し到着は明朝なので一泊分の宿代節約にもなる。1000キロを約14時間で走り、料金は4000円である。それでも今は高い時期だという。チリの物価の安さは想像以上に旅を助けてくれそうだった。

 バスは高速道路を一気に走る。寝て起きると着いていたプエルトモン、チリ側パタゴニアの玄関口である。南太平洋海流と偏西風の影響を強く受け始めるこの地域は、冷涼で湿潤な風が夏でも涼しい気候だったという。車を降りると、真夏のサンチアゴから一気に10度以上も下っていた。

 ここはまたパンアメリカンハイウェイ(環太平洋縦貫道)の終着点、つまりこの先の太平洋沿岸には道はない。従前の情報では陸路でこの先のチリ南部に向かうには、一度アルゼンチン側に入国し再度平坦なパンパからアンデスを超えて、チリに再入国する必要があるとのことだった。だが、町の観光案内所で仕入れた情報によると、欧米からの旅行者が増えるこの時期、このプエルトモンからは週に数便の船が、チリ南部のフィヨルドを縫いながら、海沿いの村に向かっていると言う。プエルトモンから直線で100キロほど下った海沿いに、チャイテンという村がある。ここは逆にチリ南部縦貫道(カレテーラ・アウストラル)の基点であり、その先からはバスが接続して南部へ向かっているという。人もまばらなこの道沿いには、かならずやマスのあふれるような川や湖があるに違いない。私が向かうべきは、ここからなのだ。ようやく釣りができるぞ…。


 聞いていた郊外にある港へ歩いて向かった。フェリー会社のオフィスで船便の確認と予約をするためだ。片言の英語でのやりとりで、航路は三つあり最南航路のプンタアレーナスや途中のプエルト・アイゼンまでの少ない路線はしばらく予約が一杯であることを聞かされた。またチャイテンまではチロエ島経由で隔日であるが、チャイテンからのバスは在るかどうかもわからないという。観光案内所と同じ答えだった。つまり船に乗れてもその先のバスがあるかどうか分からないというのだ。どうすればいいのだろう…。

 ここまではスムーズ。順調に旅が進んでいただけに、目の前に霧のベールが舞い降りてたよようでもある。とりあえず今日はこのまま保留し一晩考えてから決めることにした。旅はまだ始まったばかりで急ぐ必要はなにもない。帰り際に宿の近くのバスターミナルで念のためにと思い、アルゼンチン経由のバス路線も調べておくつもりだった。


 バス会社は無数にあってしかもシーズンのみ運行というようなものも多く、バス会社のもの以外に的確な情報が手に入らなかったからだ。だが週一便というバス会社の窓口を尋ねると、コジャイケ行きの残りは一席でしかも明日の朝出発だと言うのだ。まるで私が来るのを待っていたのか?と、思わず錯覚してしまった私は思わず「それください」と覚えたてのスペイン語を口にしていた。こうしてあっさりと次の行程が決まってしまった。船の旅、その先の辺鄙な道筋には強く惹かれていたが、バスはフェリーの半額である。これは大きい。まったく、自由なのか不自由なのか、よく分からない旅になってきた。



④:更に1000キロ


 プエルトモンからアンデス山脈の険しい山道を登って下りるとすぐにアルゼンチンになった。崖に囲まれた山岳国境を越える。パスポートコントロール、乗客はみな降りて、入国の手続きをしなければならない。こんなとき、日本人であることを心底嬉しく思う。それまでも海外の40か国以上を旅してきたが、他の国の人と比べて、スムーズでなかったことはただの一度しかない。イスラエルではひどい目にあったのが、それは連合赤軍の連中がしたことを思えば致し方のないことだった(空港で銃乱射)。

 暗くなった夜道を南へ南へとバスは走る。10時頃に一度だけ遅い食事のために休憩したが、アルゼンチンペソを持っていないために何も買えないことに気が付いた。アルゼンチンはチリの倍ほども物価が高い。チリ人も多くはレストランに入らずに、各自に持ち込んだ食べ物を口にしている。私もターミナル前で買ったリンゴとビスケットでごまかすことにした。明日はまたチリだ。腹いっぱいレストランでおいしいものを食べよう。

 うつらうつらしながらバスで揺られていると、やがて道が悪くなっていることに気がついた。がたがたと細かい振動がシートの下から伝わってくる。道の良いアルゼンチンから、再度チリ国境方面へと、方角を変えたようだった。

 こんな長いバスの旅は久しぶりだった。20代の闇雲に、目的もなく各国を放浪していた生活を思い出していた。そのころと変わったことがあるなら、目的がはっきりとしていると言うことだけだったが、それはいまの私には重要なことだ。私はパタゴニアの風の中で、でかいマスを追いかけたいのだ。




 コジャイケ。チリ・パタゴニアのほぼ中央のアイセン州で最も大きな町である。人口は約4万人でチリ南部の縦貫道の中心になる街だ。陸路は私がやってきたアルゼンチンからの道しかないが、チリ間の物資移動は西に40キロのプエルト・アイセンの外港からやってくる。アイセン州ではコジャイケとプエルト・アイセンを結ぶ路線以外は、舗装路もなく、砂埃の荒れた道が険しい地形に沿ってあるだけの粗末な道があるだけで、住んでいる人物資の往来もほとんどない。

 しかしアイセン州はチリ・パタゴニアのマス釣りのメッカでもあるというイメージが私にはあった。またそれは必ずしも単なる想像でないことは、街の中でも垣間見ることができた。ガイドブックにも座視の切り抜きにも、街のすぐ脇をリオ・シンプソンという、フライフィッシング向きの川が流れていて、北半球の欧米フライ業界でも有名だったはずだ。

 街角にフライのツアー会社のポスターが張ってあったり、小さな街の中心街にはフライのショップ、もちろんガイドサービスもあった。

 ライセンスをショップでまず手に入れる。ここコジャイケに来たならリオ・シンプソンは行くつもりだったが、ショップの情報によると、中流域にキャンプ場があってそこでも釣りはできるという。店から出てそのまま路線バスに乗り込んだ。州内唯一の幹線舗装路、プエルト・アイセン行は、1,2時間置きに定期バスがある。舗装路のしっかりした交通網があった。だがこれは釣りにはあまり芳しくない結果を生むことは、なんとなく私にも想像ができた。



⑤リオ・シンプソン~遠すぎる釣果~


 リオ・シンプソンの中流域は険しい崖に囲まれて、その平らな谷底をゆったりと蛇行しながら流れている。急な斜面の緑は濃く深くまるで熱帯のジャングルのようだ。谷底は思いのほかフラットだ。谷間の広い平らな土地には家畜のための牧草地になって、広く開放感があり、ちょっとした観光写真にも使えそうな景色である。舗装路が川の横を流れ、バスの車内から川の様子がはっきりとうかがえる。釣り人のすがたもちらりほらり。空港設備もあるこの地域では僻地と言うより、避暑のリゾートという趣もあり、概してアクセスの悪い土地ではないようだ。釣り人の姿はけっしてやぼったいスタイルではなく洗練された先鋭のスタイルにも見える。どんな釣りが待っているのか。

 そろそろキャンプ場が近いことを感じると、運転手の傍に行って「カンパラメント?(=キャンプ場)」と出発前に伝えておいた覚えたてのスペイン語で尋ねる。「スィー、スィー」(そうだ、そうだ)といって、まもなくキャンプ場の入り口でバスを止めてくれた。

 キャンプ場は想像どおりかなり質素な設備のものだったが、思いのほか料金が高いのが気になった。一泊で2000ペソ約500円。最初のキャンプ場だから較べようがないが、位入り口のオヤジのうそ臭い笑みがどうも気になった。でもこれはしかたがない。騙されたとしても貴重な授業料だ。降りそうな雨を避けて大きなニレの木の下にテントを張る。考えてみたら、この旅でテント生活は始めてではなかったか。キャンプ場というのが野趣に掛けるが目の前には雑誌でしか見たことがなかったリオ・シンプソンがとうとうと流れている。悪くない環境。

 私がリオ・シンプソンをメディア上で目にしたのは2度。その2度とも増田氏の「アンデスの夢」だったが、一回目の記事は96年だったはずだ。氏はその十年は前からパタゴニアに行っていたはずだから、当時とはずいぶん状況は変わっていておかしくはない。それにしてもこんなキャンプ場前からパタゴニアの釣りを始めることに、一抹の不安がないでもなかった。

 週末明けのせいかキャンプ場前の川には誰もいなかった。撮影機材とタックルとベストでもこもこになった装備の上からゴアのレインジャケットを着込み、濃い霧雨の谷間を下流に向かって歩く。いくらなんでもキャンプ場のまん前では期待も何もないだろうとおもったからだ。キャンプ場の右岸からは川は歩いて渡れそうな場所ない。500メートルほど下流で川が道路側の崖にぶち当たり、岸沿いにはアプローチはできそうもなく、やや短いがここから釣り上がることにした。雨の量は多くないが谷間を飢えに下に吹き荒れる風がやっかいだった。

 5番にフローティングラインにプリンスニンフを結ぶ。これを深い瀬を流してまず探った。吹き荒れる霧雨で半ばやけになっていたが、夏場の川で魚がいるとしたらここだろう、と思われるいわゆる釣りの「常識」通りのポイントを試す。比較的ゆったりした流れでも川幅は50メートル、深さは1メートル以上ある。瀬の後半は流れが速すぎて魚がいるとしたらその僅かに手前のような気がした。底はいわゆるシングルベット。小石が多く、あまりエサとなる養分は川床には見えない。ところどころに大き目の沈み石があるようだったが、グリーンがかった水の色ではっきりとは見えない。強風に翻弄されながら何度かキャストをしながら、こりゃダメそうだなと気分が沈んでくる。集中力も切れてきた。

 釣れる気がしない。リーダーをモノコアのシンクタイプにし、ティペットを50センチほどに縮めてニンフを重いタイプに換える。瀬頭の重い流れにニンフをぶち込むためだ。追い風に立ち流れの落ち込み部の手前にエイヤッとニンフを放り込む。ボトンと叩き込まれた石のようなヘアーズイヤーは流れに揉まれながら底めがけて落ちていく。当たりが取り易いようにラインを張り気味になったのは、システムを変えて、やや期待があったからかもしれない。数回キャストして当たりがなければあっという間に失せてしまうような期待感ではあったが、タックルをセットアップするだけで気分が変わるのならば、こういう釣りでは大切な気分転換だった。

 気分が失せるたぶんちょっと前、張り気味だったリーダーがぴたりと止まった。ようやく来た。何か掛かっている。立てたロッドがラインの重さ以上にしなっている。待ちに待った魚だが、重いラインの先に何かついている、という程度。魚は大して抵抗するでもなく立ち込んでいる私の元まで寄って来た。よく見ると小型のブラウン。25センチぐらいだろうか。張りのあるきれいな魚体だったが、こんなサイズでは期待を満たしてくれるにはほど遠いと言うものだ。すぐにリリースすると、同じ場所で同じキャストを何度も繰り返した。これがパタゴニア、最初の魚?こんなものでは困るのだ。地球の反対まで来たのだ。半年も稼いだ金をつぎ込んで、どれほど期待していたか…。私の期待感はかなりの空回りを始めていた。


(後半に続く)














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